大喜利の人
なんの人と呼ばれたいとか呼ぶなとかそういうのは特にないのだけれど、最近VRChatで遊ぶ人にはもっぱら大喜利の人という印象を持たれているっぽい
ちょっと他のこともできるところをみせないといけない
別にいけないこともないんだけれど
自慢ではなく自惚れでもなく、自分は興味のあることなら大体なんでもやればできる方だ
こう言うと大体やったことない人間は大変さを知らないからそう言うんだと言われる
それはまあそうなんだけれど、自分の場合ほんとに大体できているんだから仕方がない
といっても別にぱっとプロ級でできますとかじゃなくて、初心者にしてはできるねとか最初の躓きポイントをわりかしすんなりクリアできるとかそういうレベルの話
ほかの人よりわりかし腰が軽くてできたの基準が低いだけ
より高いレベルに進もうとすると基礎とか地道なところが重要になってくる
そうすると飽きてくるのでまた別のものに興味が移る
それを繰り返してまた同じものに戻ってくるとちょっと進む、んでまた飽きて別のものに興味が移って帰ってくるとちょっと進む、みたいな感じ
それぞれ真剣にしている人からすれば中途半端に見えるだろうし実際そうなんだけれど、自分はそれで楽しんでるのでいいかなと思っている
ただ最近そういう繰り返し自体に飽きてきたきらいがある
興味の向いたものをぱっとやって、飽きたら次とやっているのでライフワークみたいなものがない
全部がそうだと言うこともできるけど、全部が大事はなにも大事じゃないと同じ話でなんか目標がほしいなと最近思う
目的
話はそれるけど、漫画"蟲師"で虹を探す話がある
ざっくり蟲師の説明からすると、その世界には蟲と呼ばれる動物とか植物よりもっと生命の根源に近い存在がいる
その蟲を活用したり研究したりしている蟲師と呼ばれる人たちがいて、主人公のギンコもその一人
"蟲師"はギンコがいろんなところに行っていろんな蟲や人と出会う話だ
そんな中に"雨がくる虹がたつ"という話がある
ある時ギンコが虹を探している青年と出会い、それにしばらく協力する話だ
青年は5年も虹を探していて、目的もなく旅をしてたギンコは青年に手を貸そうと提案する
しばらく一緒に行動していたあるとき、青年はギンコに目的もなくどうして旅を続けられるのかを聞く
ギンコはそれに以下のように答える
そりゃ たまに 休みたくもなる そういう時 こうやって目的をつくる
そうすれば こうやって 余暇も 生まれるだろ
”ただ生きる”ために 生きてるぶんには 余暇ってもんがないからな
蟲師 2巻 雨がくる虹がたつ より
これを読んだとき、なるほどなと思った
それから折に触れてこの言葉を思い出すようになった
いま自分も似たようなものなのかなと思う
特に目的もなく過ごしているので余暇がない
だからなにか目的が欲しいなと思った
それもぱっとできそうもないやつ
ひとりでやる分には適当に済ませてしまうので他人も巻き込むようななにか
そんなこともあってなにか大喜利以外でもできるんだぜっていうのを見せるなにかをできないか絶賛考え中
こういうのやろうぜとかいっちょ噛ませてもらうかなって人がいたらお声がけを